所長の日記
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17. 7〜 9 17.10〜12 18. 1〜 3 18. 4〜 6 18. 7〜 9 18.10〜12 19. 1〜 3
19. 4〜 6 19. 7〜 9 19.10〜12 20. 1〜 3 20. 4〜 6 20. 7〜 9


16. 9.20
 (月)
9月12日・19日と2週続けて帰省した。
12日は母の納骨のために、実家近くの曹洞宗のお寺である高福寺へ。本殿において、49日法要と100日法要を営んだ。つい9ヶ月前まで両親が長年お世話になった地元の人たちも50人近く参加してくれたのには有り難かった。私にとって殆どの人たちが十数年ぶりの再会だったが、不思議と一瞥ではわからない人が多かった。40代から60代ってのも人相が意外と変わるものだ。

19日は姪の結婚式出席のため仙台駅前にある「パレスへいあん」へ。式は神前ではなく教会式だったが、これもなかなか。ハ−プとフル−トの音色がとてもきれいだった。フラワ−シャワ−も初めての体験。披露宴は最後まで楽しく、新婦側を代表して私も「橋」を唄ったが、思ったよりも好評だった?
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16. 9.12
 (日)
私は毎月、平均すると十数時間くらいはセミナ−に参加している。
しかし、今月は異常だ。二十数時間のセミナ−への参加を予定している。
先週9日の午後1時から10日の午後12時までは年に一度開かれる「NN構想の会」の全国大会が椿山荘にて。全国から350名の税理士・会計士などが集まった。
基調講演は、ベストセラ−作家・36才の本田健氏。「幸せな小金持ちへの8つのステップ」や「ユダヤ人大富豪の教え」など多くの作品を出版している。話が実に巧みで、内容も興味深く90分があっという間に過ぎてしまった。30代にして悠々自適なライフスタイルを貫いているようなところから、既に人生の達人と云って良いのかも知れない。
セミナ−は、9日・10日ともパネルディスカッション形式が取られた。9日は「循環型ビジネスモデル(NBM)のインパクト!〜会計人にしかできない“MASの領域”を確立する」、そして10日は「特化コンサルにより顧問先企業の経営改善を目指す」の分科会を選択した。いずれの内容もより実務的で大いに参考になった、かな?    

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11日は、こちらも年1回開催される「FPフェア−2004」に参加した。昨年は大阪で開催されたが、今年は全国から2,500名が千葉県の幕張メッセに集まった。やはり二日間の開催だが、今回も私の参加は11日のみ。
基調講演は杉並区立和田中学校々長の藤原和博氏。東大の経済学部からリクル−トのフェロ−第1号を経て校長になったという変わり種。講演内容も実にユニ−クだった。
2,500名を椅子の並び順に6人グル−プと8人グル−プに分け、そのグル−プごとに「ハンバ−ガ−店を出すとしたらどこがいいか」を地図の上から拾い出す討議をさせるという、意表をつく演出だった。彼は、中学の「よのなか」科という授業で、こういったお金を儲ける仕組みについて教えているということだった。生徒よりギャラリ−の数が多い授業とのこと。アメリカでは当たり前なこういった授業を日本で取り入れるのは難しかったろうが、今後益々、彼以外にも増えるものと思われる。時代の流れと言っていいのだろう。
午後からは90分ずつの2つの分科会、「FP業務に役立つコ−チング技能」及び「税制・社会保険激変時代のキャッシュフロ−実務」と、企業プレゼンテ−ション(45分)に参加した。これらの中では特に、コ−チング技能の分科会が良かったように思う。
まず、隣り合った2人が相手に自分の趣味や今、日常的にやっていることなどを3分間説明し、これに対し片方がその説明の良かった点を2分間話し、さらにまたそれを聞いた相手方がその感想を述べるというもの。私の相手となった人は、愛知県から今朝5時起きで駆けつけたという30代の同業の女性。相手が誰であれ、相手の良さを素早く見つけ、それを相手に伝えるというのはなかなか難しいことだが、私はこれまで、社員募集の面接時に知らず知らずのうちにこれをやっていたような気がする。私のお節介焼きの性格の故だ。
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16. 9. 8
 (水)
小説家の水上勉さんが亡くなった。もう85才になっていたんだね。
27〜28年前だったろうか、当時まで発売されていた彼の文庫本をすべて読んだことがある。そのきっかけとなったのが「霧と影」。姉が購入して実家に置いてあった「日本文学全集43巻」の水上勉さんの巻にそれが載っていた。
「霧と影」を読み終えて、それまで体験したことのない強烈な、ものの哀れや不条理を感じた記憶がある。(高校生の時に読んだ、漱石の「こころ」の読後感に少し似ていたかも)
私の記憶では確か、主人公が一度も登場せず、すべて他人の言葉で主人公のことが語られるという不思議な表現方法だったように思う。
当時は、日本文学全集を読んで気に入った人たちを次々タ−ゲットにして、発売されている文庫本をすべて読み尽くすということをやっていた。数年間に、獅子文六さんの120冊位を筆頭に、十数人の作品合計で400冊近く読んだように思う。
その頃、「日本文学全集」は、結局、41巻読破したが、幸田文さん(「おとうと」)と野間宏さん(「さいころの空」)の2巻だけは二度挑戦し、二度とも途中で挫折してしまった。何故か途中で読むのが苦しくなったのである。
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16. 8.25
 (水)
アテネオリンピックも終盤になり、悲喜こもごもの結果がいっぱい出ている。その都度考えさせられるのが新聞報道やニュ−スの取扱いの違い。
金メダルを獲得した人たちの大きなカラ−写真には全く異論はないのだが、銀メダルや銅メダルを取った人たちとの差があまりにも激しい。これは日経新聞での話なのだが。
思うに、オリンピックというプレッシャ−が極度にかかる場でメダルを取るというのは至難の業.。しかも、競技によって、日本に歴史や実績があるものとそうでないものとがあるのは事実だし、優れた指導者やライバルが存在するかどうかの違い、また、初めてのメダルと2度目や3度目のメダルとの違い、年令の違い、競技参加人数の違い、などなどがある。だから、日本人にとって、ある種目・ある人の金メダルと他の種目・他の人の銅メダルが価値が等しい、或いは、逆に銅メダルの方が価値が高いことだってあるのに、単に、メダルの色だけで報道に差を付けている現実。もう少し総合的な観点から、公平な評価と報道をお願いしたいものだ。
柔道の野村・谷両選手の3連覇や2連覇、北島選手の2種目制覇については大賛辞を贈りたい。
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16. 8.15
 (日)
終戦記念日。
全国で310万人もの人たちが戦争の犠牲になっているんだね。その数をみても、とんでもない歴史的な出来事だったことがわかる。でも、いつの日かそれを風化させてしまい、また同じ事を繰り返さないようにして欲しいものだ。

テレビを見ていると、帰省のUターンのことが頻繁に流れている。私の場合は昨年まで毎年お盆に帰省していたのだが、昨年の宮城地震で実家の家が傷み、両親が引っ越して兄夫婦と一緒に住むようになったり、先日母が亡くなり、今月の初めには生まれ育った実家の母屋や作業場を始めとするすべての建物が解体されたりと、私の中にある田舎のイメージのど真ん中が消えてしまった。いつかはこんな日が来るとはわかっていたが、この一年の間に実にあっけなく、ことごとく現実を突きつけられてしまった。残念だけど、これが時の流れというものなのだろう。
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16. 7.31
 (土)
母が死んだ。
享年85才。名前が「隆繁院雄室妙蓮大姉」になった。
脳梗塞でちょうど1週間入院し、眠るように息を引き取った。もともと血圧が高く、数十年前から降圧剤を服用していたが、昨年12月兄夫婦の家に父と一緒に引っ越す直前まで田圃に出て農作業をするくらい元気だったのに。
私が20代半ばから数年間田舎で一緒に農業をしていたとき、田圃や畑で休憩するたびに昔の出来事やいわくなどいろいろ話してくれたのを思い出す。時には親子げんかをして「子供の中で一番親不孝だ」なんて言われたこともあったっけ。
90才になる父がかぼそい声で、「これまでなぁ、ずぅ〜っと苦労させっぱなしで、これから楽をしてもらおうと思ってたのになぁ」と云ってたけど、それも叶わなかった。

葬儀場で生花の飾り付けの中に、東京税理士会や江戸川北支部、TKCや東・東京会そしていとう会計職員一同などの花を見つけビックリさせられたが、ウチの職員が他の先生に連絡して対応の仕方を聞いてくれた結果だとわかり、その心遣いがとても嬉しかった。そして、税理士の仲間からも含め多くの弔辞電報をいただいた。感謝したい。
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16. 7.27
 (火)
最近、やたらと「税理士」・「税理士事務所」や「税務会計事務所」という文字を日経新聞で見かける。
タックスハウス」と称して、税理士事務所をフランチャイズ形式で全国展開し、従来の通常業務のほかに、個人を対象に不動産の運用相談や公的助成金の情報提供などもできるようにするという会社が現れた。
また、北は北海道から南は長崎まで大手5つの税務会計事務所が共同で投資信託委託会社を設立し、資産運用事業に参入するという。今月20日に金融庁の認可を受けたとのこと。税理士の投信運用事業参入は初めてである。
昨日の新聞1面には、三菱証券と組んで今年9月に証券仲介業に乗り出す会計事務所のことが載っていた。同じTKC全国会のメンバーなのでその先生を多少なりとも知っている。法人化したことで同会計事務所には約60人の税理士がいるとのことで驚きだ。

このようなニュースを目の当たりにするといつも危機感におそわれるのだが、いつの間にかすっかり忘れてしまい、日常の仕事に埋没してしまっている自分に気が付く。今回もその例外にならずに時間が過ぎてしまうのだろうか?
そろそろ真剣に、自分が望む「こうありたいという事務所」を作るようにエネルギーを精一杯注ぎたい。60才まであと8年、健康に注意して少しでもそのような事務所に近づけるよう頑張ろう!
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16. 7.14
 (水)
今日の日経新聞に微笑ましくも愛らしい写真と記事が載っていた。
それは、子スズメが子ツバメに餌を与えているところ、つまり、スズメがツバメを育てたのだという。私が小さい頃、田舎の宮城では、文字どおりツバメは益鳥・スズメは害鳥の敵同士?だったのに。
ツバメにもスズメにもいっぱい思い出がある。
中学2・3年の頃だったろうか。学校からの帰り、ウチの長い坂を自転車を押しながら上っていくと、母屋の前の畑の上を通っている電線に数十羽のツバメが留まっていたことがあった。ツバメの大群を見たのは後にも先にも初めてのことであり、その時は訳が解らなかったのだが、数年後にその意味がわかった。実は、数十羽のツバメを見たその前年、作業場の庇にあるツバメの巣が青大将に襲われ、ひな鳥が一羽残らず食べられてしまうという出来事があったのだ。だから、おそらく私が見た数十羽のツバメはすべて私の家で生まれ、今後ここでは子育てをしないという「お別れの儀式」だったのだろうと思う。ツバメは実に頭がいい。その10年後、私が一時田舎で農業をやっていたときも、田んぼに出る度にツバメが後を追いかけて来て、作業をやっている間中、まるでじゃれるように何度も身体スレスレに飛び回ったものだ。ツバメの寿命が何年くらいなのかわからないが、このツバメたちは私の家で生まれた連中だと当時も今も信じている。
因みに、それ以来今に至るまでツバメは巣作りをしていない。
スズメとの思い出は次の機会に書きたいと思う。
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16. 7. 8
 (水)
パネラ−初体験。
私が加入しているTKC東・東京会の第1回事務所経営ゼミナ−ル「書面添付の基礎編」にパネラ−として参加した。
パネラ−は東・東京会のS会長、足立支部のK先生との3名。研修会への参加者は、所長先生・所員の方たちを含め30余名だった。
研修中は一生懸命だったものの、終わってみて改めて思い出してみると、こういう時いつもそうなのだが、果たして私の喋ったことがうまく伝わったかどうか心配になる。何かまとまりのない、聞いていて何を言っているのかわからないということはなかったか。
終わったことは仕様がないが、とにかく、まだまだ経験が足りないのだろう。このような、人前で自分の意見を主張する機会をどんどん増やしていくしかないのだろう。
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